里山という、千年もののソフトウェア

里山という、千年もののソフトウェア

8年ほど前、まだ八ヶ岳の麓に暮らしていた頃のことだ。お世話になっていた方が、「里山AI」——あるいは「里山IT」と呼べるようなものを作れないか、という構想を語っていた。テクノロジーの力で、失われつつある里山を取り戻そう、という試みだった。発案は私ではない。けれどその場に居合わせて、美しいけれど少し早すぎる夢だな、とそのとき私は思った。

あれから世界は思いのほか進み、いま振り返ると、あの構想は早すぎただけで、間違ってはいなかったのだと感じる。

里山は、人と自然をつなぐ「動いているシステム」だった

エンジニアの目で見ると、里山とは一種のソフトウェアだ。森と田畑と集落のあいだに、人の手による絶え間ない処理——下草を刈り、薪炭を採り、水路を保ち、獣との境界を見張る——が走り続けることで、森と暮らしのバランスが保たれてきた。何百年もかけて最適化された、人と自然のあいだのインターフェースであり、いわば里山という土地の上で動き続けるOSのようなものだった。

そのシステムは、誰かが常駐して動かし続けることを前提にしていた。ところが過疎と高齢化で、運用する人がいなくなった。プロセスが止まった。すると何が起きたか——放棄された果樹や耕地が獣を呼び込み、頂点捕食者を失った森では鹿が増えすぎて植生を食い尽くし、近年のクマの市街地出没にもつながっていく。里山の荒廃とは、人と自然をつないでいた古いシステムが、保守する人を失って止まってしまった状態のことだ。

(この「緩衝地帯の崩壊」については、別の記事 誇り高い狼は犬にならなかった でも触れた。)

担い手という、最大の単一障害点

問題を工学的に言い換えると、こうなる。日本の国土の約7割は森林だが、林業は重労働で、高齢化と山間部の過疎が進み、担い手が決定的に足りない。所有者が亡くなって承継されず、境界すら分からなくなった「不在村」の森が増えている。システムは複雑なまま、それを動かせる人だけが消えていく。これは、人手という単一障害点にすべてが依存した、危ういアーキテクチャだ。

「里山AI」の構想が向き合おうとしていたのは、まさにこの一点だったのだと思う。人が減るのは止められない。なら、少ない人でも広い土地を見守れるように、人の手の届く範囲を技術で拡張できないか、と。

8年が経って、技術が追いついた

当時はまだ夢物語に近かったその発想は、いまや「スマート林業」として現実になりつつある。ドローンや航空機のLiDARで森を点群として丸ごと計測し、AIが一本一本の樹木を3次元で解析して、植えた苗木の位置や生育を自動で確認したり、価値の高い広葉樹を種類まで特定したりできるようになった。衛星画像と気象データを組み合わせ、AIが樹木のストレスや病害虫被害のリスクを早期に判別する仕組みも実用化が進み、森林のCO₂吸収量を「見える化」してカーボンクレジットという新たな収益につなげる動きもある。

象徴的なのは、こうしたスマート精密林業の中核技術が、八ヶ岳にほど近い信州大学で開発されてきたことだ。あの頃、麓で語られていた夢は、同じ山の向こう側で、静かに実装されていたのかもしれない。その技術に着目した信託銀行が森林信託の新サービスを始め、岡山県西粟倉村で国内初の森林信託を受託するなど、森を「資産として保全しながら活かす」仕組みまで生まれている。

そして何より、この8年で最も変わったのはAIそのものだ。当時は専門家しか扱えなかった解析が、いまでは桁違いに安く、速く、誰にでも手が届くものになった。里山AIが早すぎたのは、アイデアではなく、足場のほうだったのだ。

ただし、技術は里山の代わりにはならない

ここで立ち止まっておきたい。技術で森を効率よく管理できるようになったからといって、「あとは自動化すればいい」とはならない。前述の記事でも書いたが、たとえば「森を増やせばいい」という素朴な解はクマをかえって増やしてしまう。自然はシステムだが、人が手を引けば勝手に均衡する単純なシステムではない。

里山がそもそも、機械ではなく、人と土地との関係そのものだったことを思い出したい。カナダの気候スマート林業が、衛星AIと同じくらい先住民族の伝統知識とテクノロジーの融合を重視しているのは示唆的だ。里山AIの本質は、人を森から追い出して自動化することではなく、逆に——少なくなった人が、もう一度森に手を届かせられるように、技術で支えることにある。保守する人を取り戻すための道具、と言ってもいい。

里山を、オープンソースのように

そう考えると、里山AIは「関係人口」の発想ともきれいに重なる。住まいを移さなくても、地域に貢献できる関わり方——いわば土地に対するオープンソース貢献だ。森の状態がデータとして見える化され、誰がどこで何を手入れすべきかが分かれば、遠くにいる人でも「小さなコミット」を積み重ねられる。一人の常駐者にすべてを依存していた里山のアーキテクチャを、多くの人が少しずつ支える分散型へと作り替える。里山AIは、そのための基盤になり得る。

8年前のあの構想は、間違っていなかった。ただ、時代の足場が整っていなかっただけだ。いまは道具が揃いつつある。あとは、屈服でも放棄でもなく、隣に居続けるという姿勢を、どう仕組みに落とし込むか。あのとき麓で聞いた夢を、こんどは実装する側として引き受けてみたい——そう思っている。


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